フレンチデピュティ×ブルーアヴェニュー(クラシックゴーゴー)という血統の芦毛の牡馬、すなわち後のクロフネが生まれたのは1998年3月末のことである。生誕地はアメリカであった。 その頃、ノーザンファームの総帥・吉田勝己の息子・俊介がアメリカのコンサイナー、ナイルブレイン・ステーブルに修行に来ていた。コンサイナーとは、生産者(あるいは馬主)から馬を預かり、馴致・育成して販売する業者にほかならない。ちなみに、コンサイナーの収入は、育成時における預託料の場合と、馬が売れたときの手数料というパターンがある。
実は、吉田俊介が身を寄せていたコンサイナーの元に、クロフネが預けられていたのである。「クロフネは吉田勝己の息子に見出された」という話はあまりにも有名だが、そのエピソードは、このような経緯によるものだ。
クロフネは、セールの調教のときから素質の片鱗を振りまいていた。
トレーニングセールには、ある意味セリのための仕上げが横行しており、その馬がもっとも良く見える、あるいは素質があるように見せかける仕上げがなされるケースも少なくない。セリの調教でその馬の極限の能力が出されてしまうこともある。クロフネも、並みの馬ならバタバタになってしまうようなかなりのスピードを出したそうだが、走った後もケロッとしていたそうだ。つまり、余裕で速い時計を出していたのである。このような心肺機能の高さに、吉田俊介がほれ込んだのだという。その見立てに間違いはなかったというべきであろう。なお、落札価格は43万ドルであった。
吉田俊介にとって、クロフネは相当思い入れのある馬だったらしい。
クロフネが出走したダービーには、ジャングルポケット、ボーンキング、ダイイチダンヒルといったノーザンファーム出身の馬が出走していたのだが、それらを差し置いてクロフネを応援していたのだという。また、この年は外国産馬にダービーが開放された初年度でもあり、黒船の名にふさわしい結果を出して欲しいという意味もあったそうだ。
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