ジャパンカップの快勝でディープインパクトの強さが再確認され、その上でラストランとなる有馬記念を迎えるわけだが、菊花賞や凱旋門賞のときのようなファンの熱気は戻ってこなかった。前年、16万人も訪れた観客は11万人に落ち込み、馬券の売り上げの440億円強も、前年比の88%でしかない(ファン投票は2年連続でディープが1位だったが、前年の16万票強から12万票弱に激減していた)。ディープインパクトの引退ということで、JRAは大幅アップを期待していたようだが、アテが外れた形になる。やはり、薬物疑惑によるイメージダウンは避けられなかったということなのだろう。これ以上自らの競走生活を汚さないためにも、ラストランは何が何でも先頭で駆け抜けなければならない。
そんなレースを目前に控えた池江泰郎の心境は、一体どのようなものだったのか?
「もう次がありませんからね。また来年というわけにはいきません。悔いが残らないよう、最高の状態で臨まねばならないと考えていました。
人生は何らかのアクシデントがあると、そのまま終わってしまうことが多いのですが、ディープインパクトはそれを自らの力で跳ね除けたんです。そんな馬の最後を汚すわけにはいかない。最高の形で締めくくらねばならないのです」
武豊にしても、
「生涯最高のレースにしたい」
と、ことあるごとに口にしていたほどなのだ。ディープインパクト陣営にとって、ラストランはまさに「背水の陣」だったのである。
ゲートが開いてスイープトウショウが出遅れる中、アドマイヤメインが大逃げを打った。それを追いかける馬はおらず、ダイワメジャーが離れた2番手を追走。注目のディープインパクトは後方から3番手につけていた。その後、レースは淡々と流れ、直線に入るところで逃げたアドマイヤメインだけが自滅していった。4コーナーから直線にかけ、各馬が殺到する中、例によって3コーナーあたりから仕掛けたディープインパクトがものすごい勢いで上がっていく。
直線ではディープインパクトの独壇場であった。鞍上の武豊が1発だけムチを入れると、前の馬を一気にごぼう抜き。いつもより少々早めに先頭に立つと、最後は流したままでポップロックに3馬身の差をつけてゴールに飛び込んだ。
ラストランは余裕の勝利であった。それも拍子抜けするほどの。
こういった場合、ヒヤヒヤもののスリリングな展開のほうが、より盛り上がるのかもしれない。ただ、付け入る隙をまったく与えなかったレースをしたということは、それだけ陣営がここに賭けていた証左ともいえるわけで、能力の高さで魅了したディープインパクトのラストランにふさわしいレースだったともいえる。強さを誇示しつつ去ってゆく様は、不世出の名馬ディープインパクトらしい最後といっていいだろう。
レース後、スタンドからは英雄をたたえる「ディープ・コール」が沸き起こった。そして、この日の全レース終了後、中山競馬場で引退式が行われた。
引退後、池江泰郎はディープインパクトについてこう語っている。
「私が競馬の世界に入って50年が経ちます。この仕事をしてきた私の夢を、ディープがすべて叶えてくれました……」
(文中敬称略)
![2006年12月24日「有馬記念(GI)」(中山芝2500)](/newimg/members/history/deep/photo/19.jpg)
2006年12月24日「有馬記念(GI)」(中山芝2500)
絶対に負けられないラストラン。そんな重圧にも負けず、例によって一気の脚で伸びていく。
2006年12月24日「有馬記念(GI)」(中山芝2500)
結局は余裕の勝利。まさに「力の差」としか言いようのない内容で、有終の美を飾った。
2006年12月24日「有馬記念(GI)」(中山芝2500)
英雄の最後の姿に、スタンドからはディープ・コールが巻き起こる。
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