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底が知れない史上最強マイラー
Contents
最強マイラーの称号
遅いデビューと連勝街道
マイル王へ
短距離界の頂点へ
展望
ドーヴィルでの快挙
その後
可能性
Chapter 8
可能性
 冒頭で触れたように、タイキシャトルは「史上最強マイラー」という評価を得ている。しかしその一方で、マイルまでの距離しか走らなかったため、いわゆる王道路線で戦う強豪たちと対決する機会がなかったことを不満とする声が出ている。特に、古馬になって素質が開花した同期のサイレンススズカ(覚醒前のサイレンススズカとは97年のマイルCSで顔を合わせている)、1歳下のエルコンドルパサー、グラスワンダー、スペシャルウィークらとの勝負を切望したファンは多かった。
 それについては、「藤沢調教師が頑なに距離適性にこだわったから」というのが一般的な解釈になっているようだ。しかし、藤沢は、
「世間ではマイラーといわれていますが、2000メートルまでなら十分こなせたと思いますよ。まあ、ベストはマイルなんでしょうけど、“絶対能力は距離適性を凌駕する”といわれているように、2400はオーバーでしょうが、2000までなら超一流だったはず。もし、今シャトルを預かっていたなら、迷うことなく秋の天皇賞(東京の2000)に出していたでしょう。というか、秋の最大目標をそこに置いていたはずです。しかし、当時は“外国産馬”という縛りがあって、出走自体が叶わぬ夢でした」
 と、異を唱える。
 藤沢は天皇賞(秋)の価値を高く評価している競馬人のひとりである。日本の競馬において、スピードとスタミナの双方をギリギリまで追及した場合、2000メートルが一番の融和点になる、と考えているからだ。中でも東京の2000がベスト。しかもそれは、種牡馬になったときの評価にもかかわってくる。自らが認めた馬には秋の天皇賞を狙わせるのが、藤沢の方針なのだ。その信念は、「菊花賞に出れば楽勝」といわれていた長距離向きのシンボリクリスエスを、あえて秋の天皇賞に向かわせたことからもわかるだろう。
 もし、2000メートルで走っていたなら、王道路線の強豪と戦っていたなら、タイキシャトルはどんな競馬をしたのだろう?(文中敬称略)