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底が知れない史上最強マイラー
Contents
最強マイラーの称号
遅いデビューと連勝街道
マイル王へ
短距離界の頂点へ
展望
ドーヴィルでの快挙
その後
可能性
Chapter 4
短距離界の頂点へ
 重賞連勝中のタイキシャトルは、この年の最大目標マイルチャンピオンシップに出走した。今にして思えば不思議な話になってしまうが、このときタイキシャトルは2番人気であった。1番人気はスピードワールド。4歳(現表記で3歳)の身で安田記念3着に健闘した馬である。秋は毎日王冠(3着/勝ち馬バブルガムフェロー)経由での参戦であった。従来のマイルチャンピオンシップは、圧倒的に古馬が有利であった。4歳の勝ち馬を探すと、88年のサッカーボーイまで遡らねばならない。その意味では、この年の人気は異常で、1〜3番人気はすべて4歳馬によって占められていたのである(3番人気はトーヨーレインボー。これまで連対を外したのは、タイキシャトルが敗れた菩提樹ステークスの3着のみ)。
 レースを引っ張ったのは、この年の桜花賞馬キョウエイマーチであった。そこに、サイレンススズカ、ヒシアケボノが続く。横山典弘を背にしたタイキシャトルは、前から4、5番手につけていた。1000メートルの通過タイムは56秒5という超ハイペース。前にいる馬は危ない。そんな予感を抱かせる流れであった。
 けれども、キョウエイマーチは粘り強かった。2、3番手につけていたサイレンススズカとヒシアケボノが、直線に入って失速してゆく中、頑として先頭を譲らなかったのである。馬場が良かったこともあるが、さすがは桜花賞馬というべきであろう。
 しかし、ただ一頭だけキョウエイマーチに襲い掛かる馬がいた。タイキシャトルにほかならない。鞍上の横山がゴーサインを送るや否や、あっという間に桜花賞馬を交わして先頭に立つ。そしてそのまま2馬身半の差をつけ、先頭でゴールに飛び込んだのだ。
1997年11月16日「マイルチャンピオンシップ(GI)」(京都芝1600)
1997年11月16日「マイルチャンピオンシップ(GI)」(京都芝1600)
粘りに粘るキョウエイマーチをアッサリ交わし、堂々と先頭に立つ。
1997年11月16日「マイルチャンピオンシップ(GI)」(京都芝1600)
1997年11月16日「マイルチャンピオンシップ(GI)」(京都芝1600)
初のGI制覇の瞬間。鞍上横山典弘はムチを振り上げて喜びを表現。
 こうして、タイキシャトルはマイラーたちの頂点に立ったのである。
 内容的にも文句のつけようのない競馬であった。この時点で、藤沢和雄は「海外」を意識したほどである。
 一方、鞍上の横山もその強さに驚愕した。レース後、これまで手綱を取っていた岡部に対し、
「岡部さん、反則ですよ。こんなに強い馬に乗ってたなんて」
 と憎まれ口を叩いたそうである。岡部のほうは、
「何言ってんだよ。もし最初からお前が乗ってたら、こんなに強くなってないよ」
 と、やり返したらしい。タイキシャトルの背中を知るジョッキーによるそんなやり取りを、藤沢は鮮明に覚えていた。
 藤沢によれば、岡部が言うように、デビュー当時のタイキシャトルは誰でも御せるような単純な馬ではなかったらしい。慎重すぎる性格のせいでゲート試験に何度も落ちているし、ファンが撒き散らすハズレ馬券の紙吹雪に気を取られてしまうような細やかな面も持っていたのだ。キャリアが浅い時期には、出ムチをくれなければ走ってくれないようなところまであったという。類まれな素質の持ち主であることは、後の競走から疑いの余地もないが、それが開花するまでいくつかの段階を経てきたのである。その意味では、菩提樹ステークスでの敗戦も、競馬を覚えるための通過点と言えなくもない。
 その後、タイキシャトルは暮れのスプリンターズステークスに出走し、単勝1.9倍の断然人気に応え、GI連勝を果たした。それにより、1997年度の最優秀短距離馬に選出されたのはいうまでもない。
1997年12月14日「スプリンターズステークス(GI)」(中山芝1200)
1997年12月14日「スプリンターズステークス(GI)」(中山芝1200)
一部で不安視された距離不足も無関係。これでGIレース2連勝を果たした。
1997年12月14日「スプリンターズステークス(GI)」(中山芝1200)
1997年12月14日「スプリンターズステークス(GI)」(中山芝1200)
マイルチャンピオンシップ、スプリンターズステークス連勝により、この年の最優秀短距離馬に選出された。