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底が知れない史上最強マイラー
Contents
最強マイラーの称号
遅いデビューと連勝街道
マイル王へ
短距離界の頂点へ
展望
ドーヴィルでの快挙
その後
可能性
Chapter 3
マイル王へ
 菩提樹ステークスに敗れたあと3ヶ月の休養に入ったタイキシャトルは、10月の東京で復帰した。その緒戦はダート1600メートルの重賞、ユニコーンステークス。この選択は、ダート路線を歩ませるという方針に基づくものではなかった。
「芝ダート問わず、とにかくマイルのレースに使いたかったんですよ。さらに言うと、4歳(現表記で3歳)限定戦が望ましい。その2つの条件を満たすのがたまたまユニコーンステークスだった、というだけなんです」
 と藤沢は考えていたのである。
 久々のダートだったことからか、3番人気に甘んじたタイキシャトルだったが、ワシントンカラー以下に2馬身半をつけて楽勝した。その後、再び芝路線に戻り、スワンステークスで古馬相手に快勝している。
1997年10月4日「ユニコーンステークス(GIII)」(東京ダート1600)
1997年10月4日「ユニコーンステークス(GIII)」(東京ダート1600)
初重賞の舞台はダート戦。もし、ダート中心に走っていたら、どのような結果が待っていたのだろう?
1997年10月25日「スワンステークス(GII)」(京都芝1400)
1997年10月25日「スワンステークス(GII)」(京都芝1400)
初の古馬相手でもまったく関係なし。余裕があるまま先頭でゴールを切った。
 タイキシャトルに対し、藤沢和雄が「バケモノ」という認識を持つようになったのは、ちょうどスワンステークスの頃からだという。初の古馬相手ということで、正直不安がなかったわけではない。そんな心配が杞憂に終わったことで、視界が開けてきたのだ。
 なお、デビューからユニコーンステークスまでずっと手綱を取り続けてきた岡部幸雄は、スワンステークスで同厩のシンコウキング(高松宮記念勝ち馬)に騎乗している。両者の比較で「シンコウキングのほうが強い」と岡部が判断したからではない。シンコウキングがかなり気難しい馬なので、岡部でなければうまく御すことができないと考えた藤沢の決断によるものだったのだ。タイキシャトルの新たな相棒は横山典弘であった。