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キングカメハメハ 名手が言った“誰が乗っても勝てる馬”
Contents
天才の一言
大成長
希望の光
頂点へ
雪辱のために
鮮やかな復活
激走、再び
独走劇
別の可能性
Chapter 2
大成長
 シンボリクリスエスは外国産馬である。日本に輸入される外国産馬はトレーニングセール出身が主流で、セリの傾向から早熟のスピード馬やダート馬だったりすることが多い。しかし、シンボリクリスエスの場合少々事情が違っている。キーンランドの繁殖セールで、シンボリ牧場によって購入された牝馬(ティーケイ)が産み落とした馬なのだ。つまり、アメリカのシンボリ牧場で生まれたため「外国産馬」の扱いを受けただけのことで、日本人の手による生産馬だったのである。仮にティーケイが日本に移動し、出産していれば、いわゆる「持ち込み」であり、内国産馬として扱われることになるわけだ。また、父はターントゥ系のクリスエスで、マル外にありがちな短距離血統ではない。母ティーケイも芝のGIII勝ち馬で、父系とともに芝に対する適性もあった。もちろん、セリ用に無理矢理仕上げられるようなこともなかった。そのような経緯が示すように、クラシックディスタンスや時期的なものにも対応できる下地があったことになる。
 武豊が判断したとおり、シンボリクリスエスは晩成型であった。そういえば、岡部幸雄もデビュー戦で跨ったとき、「いずれは出世するよ」という感想を漏らしたらしい。
 東西のトップジョッキーが揃って同じジャッジを下したことになるわけだが、彼らの言葉が現実味を帯びてきたのは神戸新聞杯からだった。
 ダービーの後休養に入ったシンボリクリスエスは、逞しくなって厩舎に帰ってきた。体重はそれほど増えていなかったが、見違えるような筋肉をまとっていたのである。
「歩き方ひとつとっても、まったく違ってきている。春に比べ、何から何まで成長していた」
と感じた藤沢は、菊花賞トライアルの神戸新聞杯参戦を決めた。
2002年9月22日「神戸新聞杯(GII)」(阪神芝2000)
2002年9月22日「神戸新聞杯(GII)」(阪神芝2000)
ダービー馬不在では負けるわけにはいかない。皐月賞馬を難なく完封した神戸新聞杯。
藤沢和雄は菊花賞よりも天皇賞(秋)を重視する調教師である。年々スピード化する近代競馬にあって、3000メートルよりも2000メートルのほうが重要と見做していたのだ。そんな評価は、当然種牡馬になってからも影響してくる。よほどのステイヤーでない限り、菊ではなく天皇賞に使うというのが藤沢の方針であった。となると、わざわざ西下して菊花賞トライアルに出す必要はないわけで、セントライト記念やオールカマー、あるいは毎日王冠を使うのが常道であろう。あえて神戸新聞杯としたのは、タニノギムレットにぶつけるためだったのである。
 しかし、タニノギムレットは故障のため、ダービーを最後に引退してしまったのだ。結局、両雄の2度目の対決は実現しなかったのである。
 ダービー馬抜きの神戸新聞杯は、シンボリクリスエスの独壇場であった。1番人気に推されていた同馬は、中団から抜け出す横綱相撲で、皐月賞馬ノーリーズン以下に2馬身半もの差をつけて楽勝したのである。「秋になれば」といわれた晩成型が、いよいよ本格化してきた。