競馬最強の法則WEB 競馬最強の法則WEB トップへ戻る
無料会員登録有料情報の申込みと解除
最強予想 ブログ 中央 投票STREAM 地方 投票STREAM 予想大会 POG大会 馬掲示板
シンボリクリスエス 度派手な花道を飾った寵児が残した“別の可能性”
Contents
天才の一言
大成長
希望の光
頂点へ
雪辱のために
鮮やかな復活
激走、再び
独走劇
別の可能性
Chapter 1
天才の一言
 シンボリクリスエスが青葉賞を制した直後、鞍上の武豊はこう言ったそうだ。
「いいですね。この馬!秋には絶対よくなりますよ!」
 そのときの藤沢和雄の心境は少々複雑であったらしい。
 馬の素質を評価してもらった点については素直に喜ぶことができた。しかし、「秋には」という部分が気にかかる。内心、藤沢は「春でも勝負になる」、すなわち「ダービーでも」と意気込んでいたところなのだ。
 その春、武の相棒はタニノギムレットであった。青葉賞で乗ったのは「代打」に過ぎない。穿った見方をすれば、「秋には」という言葉の裏に「ダービーではギムレットにかないませんよ」という意味が潜んでいると取れなくもない。
 2歳10月のデビュー戦に快勝したシンボリクリスエスは、腰に疲れが出たため放牧に出された。3か月後に復帰したが、なかなか2勝目を挙げることができない。セントポーリア賞(2着)、ゆりかもめ賞(3着)、500万下(3着)と惜しいレースを続け、4月の山吹賞でようやく両目を開けることができたのである。青葉賞の快勝は、山吹賞直後のことであった。
2002年4月27日「青葉賞(GII)」(東京芝2400)
2002年4月27日「青葉賞(GII)」(東京芝2400)
2勝目を挙げた勢いをかって、そのまま一気に初重賞制覇。大舞台が見えてきた。
2002年4月27日「青葉賞(GII)」(東京芝2400)
2002年4月27日「青葉賞(GII)」(東京芝2400)
秋には絶対強くなりますよ……天才が認めた素質が開花するのは……
 デビューから山吹賞までの間、シンボリクリスエスの手綱を取っていたのは岡部幸雄と横山典弘であった。ほぼ交互に乗っていた感じになるが、その時々の状況に応じて使い分けられていたのだという。しかし、青葉賞では両者とも別の馬に騎乗していた。岡部の騎乗馬は同厩のボールドブライアン。この馬はかなり難しいところがあり、「岡部でないと御せない」という藤沢の判断があったらしい。一方、横山のほうは、松田博厩舎のダディーズドリームに先約があった。そこで、ダービーでタニノギムレットに乗ることが決まっていた武に、「1回こっきり」の代打として回ってきたのである。
 青葉賞から1か月後、シンボリクリスエスはダービーに出走した。だが、見せ場タップリのいいレースをしたものの2着まで。堂々の差し切り勝ちを決めたのは、武豊とタニノギムレットであった。
「さすがは超一流ジョッキーが下したジャッジ……」
 天才といわれる男がゴールを先頭で、それから1馬身遅れて岡部とシンボリクリスエスが駆け抜けたとき、藤沢はそれを痛感したという。
 どうやらダービーは負けるべくして負けたらしい。けれども、天才が言ったように秋がある。
 焦ることはない……
 藤沢は秋の飛躍に期待することにした。
2002年5月26日「東京優駿(GI)」(東京芝2400)
2002年5月26日「東京優駿(GI)」(東京芝2400)
いいレースだったが……天才が操るタニノギムレットに勝つことはできなかった。