息の詰まる名勝負であった。ゴール前の体勢はほとんど同時で、どちらが勝ったのかを肉眼で判断するのはきわめて難しい。当然のことながら写真判定に持ち込まれた。
調教師席で見ていた尾形充弘は、「負けた」と思ったそうである。確かに、最後の脚色自体はスペシャルウィークのほうに分があり、勢いからして差し切られたように見えなくもない。尾形は、宿敵を管理する白井寿昭に声をかけた。
「おめでとうございます……」
だが、祝福された白井のほうも勝ったとは思っていなかったらしく、
「いや、(グラスワンダーが)残ってますよ」
と答えたという。
このとき、スペシャルウィーク鞍上の武豊は自分の馬が勝ったと判断したようだ。というのは、相棒を向こう正面まで走らせるウイニングランを敢行したからである。スタンド前に戻ってきたときは、ガッツポーズまで見せたほどだった。一方、的場均は躊躇しながらも2着馬の位置に馬を収めた。判定のための時間が異常に長く、まだ正式な結果が出ていないうちから、場内の雰囲気はスペシャルウィーク有利の見方に傾きつつあった。
しかし、スペシャルウィークと武豊が枠場に戻ってきたとき、場内が騒然とした。電光掲示板に着順が灯ったからである。
1着7番、2着3番。
勝ったのはグラスワンダーのほうだった。着差が「ハナ」だったのは言うまでもない。
実は、写真判定の結果自体は、もう少し早く出ていたそうだ。武がウイニングランをしてしまった手前、彼が検量に戻ってくるまで、裁定委員は確定ランプの点灯を遅らせたらしい。実際、グラスワンダーの勝利と知った武は、検量室に戻ったとき茫然自失としていただけに、もし、ファンの前を流しているときに確定させてしまえば、目の前で相当な罵声が浴びせられ、かなり恥ずかしい状態に追い込まれ、ヘタをすると相当なパニック状態になった可能性がある。つまり、JRAは武の心情を配慮したわけだ。「お役所仕事が多い」と揶揄されるJRAにしては、珍しく気の利いた処置というべきであろう。
誤認といえば、尾形にしても同様だった。白井に対して「おめでとう」といってしまった手前、かなりバツの悪い思いで、
「いや、申し訳ないことを言ってしまいました」
と詫びを入れたという。
このように、直接の関係者が慌てふためくほど微妙な「ハナ差」であった。
一口に「ハナ差」といっても、様々なケースがある。実際には20センチ以上の差がついていて、写真判定に持ち込まれなくても、おおむね肉眼で判断できる場合もある。しかしこの有馬記念は、たったの4センチの差でしかなかった。多くのファンから「同着でもいいんじゃないの」という声が上がるほど、際どい決着だったのである。まさに、史上に残る名勝負だったというべきであろう。
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