冒頭で述べたように、2006年の凱旋門賞でディープインパクトが3着に敗れた。この結果をもって、ディープとエルコンの優劣を決めるのはナンセンスであろう。ただ、ひとつだけ言えることがあるとすれば、「凱旋門賞に対する気構えにおいて、エルコンドルパサー陣営のほうがより意識が高かった」ということだろう。別に、ディープの池江泰郎調教師をはじめとするスタッフが手を抜いていたというわけではない。言い方を変えれば、エルコン陣営のほうが、より欧州競馬というものに対し、地に足をつけていたということだ。下準備の差ということもできよう。筆者は現地に行っていないが、毎年凱旋門賞の撮影で渡仏しているカメラマンの白田敏行によれば、「現地のファン、関係者の認知度は、ディープよりエルコンのほうがはるかに上。それは、凱旋門賞に至るまでの過程の問題です」ということらしい。
準備も見事なら、引き際も潔かった。凱旋門賞を最後に、現役から引退したのである。「本当なら、ブリーダーズカップ・クラシックにも使いたかったんですよ。しかし、フランスで4度過酷な競馬をしただけに、ちょっと無理でした。また、アメリカでの受け入れ体制が、ヨーロッパほど整っていませんでしたし。走らせるなら、万全の状態で使わなければ意味がないですからね」と渡邊は言う。また、JRAからJCや有馬記念への参戦を要請されたそうだが、上記の理由から断ったそうだ。ファンとしては、スペシャルウィークやグラスワンダーとの対決を見てみたかったところが、そういう事情であれば仕方あるまい。
1999年11月28日 引退式(東京競馬場、凱旋門賞のゼッケン) ジャパンカップ当日、世界を駆け抜けた名馬に、多くのファンが惜しみない拍手を送った
引退したエルコンドルパサーは、社台スタリオンで種牡馬生活に入ったが、わずか3世代の産駒を残しただけで早逝してしまった。当初の産駒は期待ほど走らなかったが、最後の世代からソングオブウインド(菊花賞)、アロンダイト(ジャパンカップ・ダート)という2頭のGIホースが出ている。そしてディープインパクトの凱旋門賞挑戦。あれから7年、西暦で2006年を迎えた今年は、エルコンドルパサーの名が再びクローズアップされた年だった。
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